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森アーツセンターギャラリー
森アーツセンターギャラリー
〒106-6150 東京都港区六本木6-10-1
六本木ヒルズ森タワー52階
巡回展で開催
東日本大震災復興事業 福島県立美術館
〒960-8003 福島県福島市森合字西養山 1


VERMEER AND REMBRANDT:

THE MASTERS OF THE 17TH CENTURY DUTCH GOLDEN AGE

フェルメールレンブラント

17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち

 17世紀はオランダ黄金時代といわれています。 この時代、オランダは歴史上稀にみる発展の最中にありました。 1560年代に始まるスペイン支配からの独立戦争に伴い経済が急成長するとともに、1602年に世界に先駆けて設立された株式会社、オランダ東インド会社の貿易網を通して世界に名だたる強国、富裕国として発展していきます。 17世紀はまた、新たな芸術文化が発展し、絵画の分野においても多くの優れた画家を輩出し数多くの傑作が生まれるという、特別な時代でした。 「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」では、「光の画家」 として知られるデルフト出身のヨハネス・フェルメール(1632-75)やアムステルダムで名声を手にし、独特な発想、技法と構図で人気を博したレンブラント・ファン・レイン(1606-69)、レンブラントの弟子であるカレル・ファブリティウス(1622-54)、肖像画を得意とするフランス・ハルス(1582/83-1666)、風俗画家を代表するヤン・ステーン(1626-79)、ピーテル・デ・ホーホ(1629-84) など、彼らの作品は400年近く時を経た今でも色褪せることなく、私たちに感銘を与えてくれます。 本展覧会では、60 点の作品を通して、オランダ黄金時代と当時活躍した画家たちを紹介します。


展覧会会期: 2016 1/14(木)―3/31(木) 展覧会は終了しました。
開館時間: 午前10時―午後8時
*入室は閉室の30分前まで。

休館日: 1月19日(火)
会場: 森アーツセンターギャラリー (東京・六本木ヒルズ森タワー52階)
主催:TBS、朝日新聞社、森アーツセンター

巡回先 「東日本大震災復興事業」

巡回展会期: 2016 4/6(水)―5/8(日) 巡回展は終了しました。
開館時間: 午前9時30分―午後5時
*入室は閉室の30分前まで。
*ただし、4/10(月)、4/23(土)、4/30(土)、5/7(土)は 19:00 まで開館。

休館日: 4/11(月)、4/18(月)、4/25(月)
会場: 福島県立美術館 〒960-8003 福島県福島市森合字西養山 1
主催: 東日本大震災復興事業
「フェルメールとレンブラント: 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 展」実行委員会
(構成) 福島県、福島県教育委員会、福島県立美術館、テレビユー福島、福島民報社、ラジオ福島


1_13 '2016 「フェルメールとレンブラント: 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 展」 プレス内覧会の会場風景です。
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「フェルメールとレンブラント展」プレス内覧会

フェルメールとレンブラント:
17世紀オランダ黄金の時代の巨匠たち
プレス内覧会  1_13 '2016


約60点の作品を通してオランダ黄金時代と、フェルメール、レンブラントほか、
当時活躍した数多くの画家たちを紹介。 当時の文化と人々の生活がよみがえる。

「展示構成」 ―PRESS RELEASE、「フェルメールとレンブラント: 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 展」の図録 より抜粋して掲載しています―

 本展は、メトロポリタン美術館 (ニューヨーク)、アムステルダム国立美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー (京都、東京にのみ出品) を中心に個人蔵の作品も加えた 60 点で構成されます。 オランダ黄金時代と当時活躍した画家たち、フェルメール、レンブラントと並び、フランス・ハルス、ヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホ (京都、東京会場のみの出品) など、黄金時代を彩った様々な画家たちの作品によって、当時の文化と人々の生活が私たちの目の前によみがえります。 とりわけメトロポリタン美術館を代表する作品であるフェルメールの 《水差しを持つ女》 とレンブラントの 《ベローナ》 は日本初公開となります。

「展示構成」
Ⅰ ハールレム、ユトレヒト、アムステルダム ―オランダ黄金時代の幕開け
Ⅱ オランダ黄金時代 Ⅱ-1 風景画家たち / Ⅱ-2 イタリア的風景画家たち / Ⅱ-3 建築画家たち / Ⅱ-4 海洋画家たち / Ⅱ-5 静物画家たち / Ⅱ-6 肖像画家たち / Ⅱ-7 風俗画家たち
Ⅲ レンブラントとレンブラント派
Ⅳ オランダ黄金時代の終焉


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ヘンドリック・ホルツィウス《苦悩するキリスト》

Ⅰ ハールレム、ユトレヒト、アムステルダム ―オランダ黄金時代の幕開け
 17世紀初頭から、オランダの各都市において画家たちが活発に制作活動を行い、独特の絵画を発展させていきました。 特に、ハールレム、ユトレヒト、アムステルダムでは、イタリアやフランスで経験を積んだ画家たちが独自の絵画を開花させていきます。 序章となる本章では、当時ヨーロッパで人気を博した画家ヘンドリック・ホルツィウスや明暗技法と豊かな色彩を融合した独創的な画家アブラハム・ブルーマールトなどの作品を通して、黄金時代の幕開けを紹介します。

・1 ヘンドリック・ホルツィウス [ブラフト 1558 - ハールレム 1617] 《苦悩するキリスト》 1607年
油彩、カンヴァス 120.1 x 86.3cm 署名・年記あり ユトレヒト中央美術館

裸のキリストが、「茨の冠」 をかぶらさられ、天国をのほうを見つめて目には涙を浮かべ、右手に葦の棒を持ち座っている。 その身体は筋肉質で、人類の悲しみを背負うキリストではなく、ローマの古代芸術に着想を得た身体で、ギリシャ・ローマ神話の英雄を思わせる。 本作では、キリストは人類のために苦悩するのではなく、我々を神へと導く力強い英雄として描かれている。


ヤン・バプティスト・ウェーニクス《地中海の港》

Ⅱ オランダ黄金時代 Ⅱ-1 風景画家たち / Ⅱ-2 イタリア的風景画家たち / Ⅱ-3 建築画家たち / Ⅱ-4 海洋画家たち / Ⅱ-5 静物画家たち / Ⅱ-6 肖像画家たち / Ⅱ-7 風俗画家たち
 本章では、風景画、建築画、海洋画、静物画、肖像画、風俗画の順にオランダ黄金時代の歩みをたどっていきます。
Ⅱ-2 イタリア的風景画家たち
当時、イタリアに旅し学んだオランダ出身の画家は多く、彼らはその影響を色濃く残した作品を制作しています。 明るい陽光、朽ちた古代の遺跡、新鮮な青い空―オランダ風景画とは一風異なるエキゾチックな風景が描かれたイタリア風の風景画は、オランダで人気のある分野だったため、イタリアを訪れたことのない画家も様式を真似て描いていました。

・16 ヤン・バプティスト・ウェーニクス  [アムステルダム 1621 - デ・ハール 1659/61] 《地中海の港》 1650年頃
油彩、カンヴァス 91.5 x 117.5cm 署名あり 個人蔵

 この印象的な作品は、イタリア沿岸の架空の景観を描いたものである。 前景には着飾った美しい女性が座って、犬を連れた紳士と言葉を交わしている。 海辺には別の旅行者の一行がおり、なかには海で泳いでいる者もいる。 画面右側には、ここがイタリアであることを鑑賞者に思い起こさせるかのように、古代ローマの建造物群が描かれている。 遠景に目を移すと、イングランドあるいはオランダから交易のためにやってきたであろう数隻の船が停泊しているのが確認できる。 この沿岸風景はとても賑やかで、観る者の目を引く建物や人々がたくさん描かれている。 イタリアとの結びつきを十分に連想させるとともに、好奇心をそそるこの外国世界について、17世紀のオランダの人々が思いを馳せるに足る魅力を湛えている。


サンドロ・ボッティチェリ《バラ園の聖母》

Ⅲ レンブラントとレンブラント派
 オランダ黄金時代の巨匠のひとり、レンブラント・ファン・レインは数々の名作を生み出し、彼の作品は現在でも多くの人々に感銘を与えています。 光と影を描く独特な技法、ドラマチックな構図や描写。 レンブラントは工房を持ち、そこからは弟子たちが巣立っていきました。 師匠に引けを取らない見事な作品を残し、名声を得た弟子もいます。 レンブラントと弟子たちの素晴らしい技法と描写を紹介します。

・50 レンブラント・ファン・レィン [ライデン 1606 - アムステルダム 1669]
《ベローナ 1633年 油彩、カンヴァス 127.0 x 97.5cm メトロポリタン美術館、ニューヨーク

 レンブラントが 1631 年にライデンからアムステルダムに移ったとき、彼は革新的な肖像画と大胆で小規模な歴史画を手がける画家として、たちまち名声を獲得した。 X線透視画像からは、レンブラントが 《ベローナ》 の制作に非常に苦心していたことがうかがい知れ、何回もの変更を加えている。 ベローナ (ラテン語で戦争を意味する “Bellum” に由来) は古代ローマの戦いの女神のひとりであり、彼女はローマの軍神マルスの姉妹、あるいは妻であったとされる。 本作は、複雑な装飾のある兜と黄金細工の施された鎧を装着し、ビロードのスカートを纏っている。 素晴らしく輝かしい鎧と残忍なメドゥーサの首のついた盾を身につけているにもかかわらず、レンブラントのベローナは戦いの女神に似つかわしくない温和な雰囲気を纏っている。


アルノルト・ハウブレーケン《イピゲネイアの犠牲》

Ⅳ オランダ黄金時代の終焉
 17世紀末には、オランダで生み出される絵画の特徴が変化していった。 いくつかの主題ではその様式が変化し、姿を消す様式もあった。 風景画においても、オランダ的な風景は、イタリア的な、山々や外国の特徴をもつ建物を伴う風景画にとってかわられた。 沢山の花々で満ちあふれた静物画は、豪華な室内にふさわしい、洗練された色彩で描かれるようになった。 農民は描かれなくなり、代わって優雅な若い女性と男性が描かれた。
 約100年ほどの間に多くの巨匠と傑作絵画を生み出したオランダ絵画の黄金時代は終焉を迎え、次の時代へと移ってゆきます。

・60 アルノルト・ハウブラーケン [ドルドレヒト 1660 - アムステルダム 1719]
《イピゲネイアの犠牲》 1690-1700年頃
油彩、カンヴァス 79.5 x 63.4cm 署名あり アムステルダム国立美術館

 このアルノルト・ハウブラーケンの傑作は、ギリシア・トロイア間の戦争における劇的な場面を描いたものである。 アガメムノン王がトロイア人との戦争のためにアカイアの古代ギリシア住民の艦隊をアウリスの港に集めたとき、風が吹かなかったために船が出航させることができなかった。 予言者カルカースは、風がないのは、彼が女神アルテミスの神聖な林で鹿を殺したためであると断言し、彼女の怒りを鎮めるためには、アガメムノン王の長女イピゲネイアを生け贄にしなくてはならないと言う。 アガメムノン王もはじめは拒絶したものの、他の指揮官らの圧力に屈した。 しかしながら、イピゲネイアが今にも生け贄にされそうになったそのとき、女神アルテミスが遣わした鹿が彼女の身代わりとして現れる。



「ボッティチェリ展」プレス説明会

フェルメールとレンブラント: 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 展
( プレス説明会 1_13 '2016 )

イェルーン・ヒルタイ Jeroen Giltaij
本展監修者/元ボイマンス美術館 [ロッテルダム] 主任学芸員

 総論:黄金時代の絵画 ―(「図録」よりの抜粋文章です)―
 ネーデルラント連邦共和国はヨーロッパの北西に位置する小国で、北海に沿った長い海岸線を有している。 この海岸線はこの国にとって敵であり同時に味方である。 この国は主にオランダと呼ばれている。
 16世紀末、依然としてスペイン政府の統治下にあったにもかかわらず、オランダ独自の、かつ新たなアイデンティティーを急速に見せはじめていた。 当時、オランダ人は世界中をまわって交易の可能性を探っており、例えば、北極海を抜けて中国に至る経路を見つけだそうとすらしていたが、成功には至らなかった。 その後、東インドの国々と交易をする会社、すなわち、世界初の多国籍企業連合であるオランダ東インド会社 (VOC) が、1602年にアムステルダムに創設されたのである。 オランダは、長きにわたり、出島に商館を構える日本との交易が許された唯一の国であった。
  この時代、オランダ経済は発展のただなかにあり、科学者や哲学者 (ルネ・デカルトは20年間をオランダで過ごした) 、技術者たちが活躍する社会が展開していた。 文化面では、重要な建築家や作曲家、文筆家などを輩出したが、この文化のなかで特別な存在だったのが視覚的な表現手段であり、それは画家たちの貢献によって形成されたといえるだろう。 統計によれば、1580 年頃から 1800 年頃までは、ネーデルラントでは 5 万人から 10 万人の画家が活躍し、500 万枚から 1000 万枚の絵画作品が制作されたと推定されている。 外国からの旅行者たちが度々書き記しているように、あらゆる家の壁には絵画が数多く掛かっていたと考えられる。 現在、当時の家の内装を描いた作品を見ると、家々には多くの絵が飾られていたことが見て取れる。…

 …新たに誕生した共和国は、王侯や貴族たちによって統治されていたヨーロッパの他のどの国とも大きく異なっていた。…ここで注目すべきは、共和国の奇跡的な発展が、スペインとの八十年戦争のあいだにほぼ達成され、この間にこの比較的小さな新興国が大国へと成長を遂げた点にある。 反乱を起こしたことで経済的に独立する必要に迫られたオランダは、北ヨーロッパの主要港および中継港としてかねてより利用されてきたアントワープ港への入口を戦力的に封鎖し、内陸へとつながる川を擁するアムステルダムが、その強みを活かしてすぐさまその役割に取って代わった。 造船業もまた盛んになったが、それは大規模艦隊の整備によるものばかりではなく、塩漬魚の需要が国内市場と輸出向けに高まったことを背景に、漁船の建造が急激に増えたからである。 国土は小さいものの牧畜にきわめて適した地質を有するオランダでは、酪農生産も発達した。…また、世界で初の多国籍企業で株式会社とされるオランダ東インド会社が、海外貿易成功の鍵となったのは、軍艦による護衛であった。…


お問合せTel:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:http://www.tbs.co.jp/vermeer2016/
主催:
TBS、朝日新聞社、森アーツセンター
後援:外務省、文化庁、アメリカ大使館、オランダ王国大使館、J-WAVE
協賛:三井住友銀行、日本写真印刷、三井物産
協力:日本通運 企画:財団ハタステフティング


参考資料:「フェルメールとレンブラント: 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 展」 図録、PRESS RELEASE 他。
※写真撮影の画像など掲載は、主催者の許可を受けて行っております。
※画像の無断転載禁止


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